題 目
一谷嫩軍記
作 者

並木宗輔

筋 書

「須磨の浦の段」
一の谷合戦後の義経は源平の合戦に先立ち熊谷に桜の木を陣に植えるように命じる。隠された密命は「平敦盛を救え」ということ。実は後白河法皇の落胤でまさかの場合には東宮にもなりえるからだった。しかし救い出す方法は身代わりを用意しなければならない。源氏物語の中で桜の木を切った者は一指切れ=一子切れ・・・熊谷の子を身代わりにせよということだった。
「陣門の場」
熊谷の子小次郎を敵陣に一番乗りさせ、熊谷は代わりに敦盛をつれ帰ってくる。
「組打ちの場」
大海原にのりいれた熊谷と敦盛に扮した小次郎は迫真に迫るやりとりをしつつせりがあがっていく。わが子に励まされながら敵・味方にさとられぬよう、熊谷は敦盛の代わりとなった小次郎の首をはねる。
「熊谷陣屋」
石屋の弥陀六は平敦盛の菩提を弔うために石塔を立てたとして捕らえられ、陣屋で梶原景高の詮議を受けているところ、 熊谷の妻相模(小次郎の母)と藤の方(平敦盛の母)がお互いの子の身の上を案じ、陣屋を訪ねてくる。敦盛を打ち取ったときき藤の方が熊谷に切りかかり健気な敦盛最後の様子を物語りる。やがて、源義経が首実験となり首は、小次郎の首であった。すり替えの様子を聞いた梶原景高は、鎌倉の源頼朝へ注進しようとするが、物陰から弥陀六の投げたのみで絶命。熊谷は武士を捨て仏門に入り「十六年は一昔、夢だ夢だ」とつぶやきつつ小次郎の菩提を弔うため旅立つ。

見 処
熊谷の親子の情を通わせつつ、敦盛となった小次郎を殺さなければならない苦しみの演技は心を引きつけさせる。勇壮豪快な見得や、相模の小次郎の首をもって嘆きながらの「くどき」が見せ場

 

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