石仏めぐり 
豊後高田市公式サイト 臼杵市公式サイト

Naoは中学2年間臼杵の町に住んでいました。記憶をたどりながら歩いていきます。

1998 Spring   

臼杵は”うすき”と呼び大分県南部の小さな町。天気のよい日には豊後水道の対岸の愛媛県の南部が見えることもあります。大分市より若干南に位置し豊後水道の海の幸、かぼす発祥の地。 味噌・醤油の醸造などいかにも城下町っぽい雰囲気です。作家野上弥生子の生家はこのフンドーキンの小手川家でもあります。

1563年キリシタン大名大友宗麟の居城(丹生島城)を築いて城下町となり、1600年オランダの三浦安針の乗るリーフデ号が遭難して立ち寄ったのが臼杵(佐志生)です。日蘭交流400年記念の時には皇太子様も臼杵へ来られて記念式典を開きました。日本の開国の重要な役割を果たしている場所といえます。

大友宗麟の庇護を受けた影響なのか臼杵に近い野津町にはキリシタン記念館などもあります。国東半島を中心に広まった石仏の文化が此処臼杵でも多く存在し石仏の里としても有名です。うすきの名前は前方後円墳の下山古墳に石人が1基あり、地元の人たちは昔から「うすきねさま」と呼び、崇拝していたから、臼塚古墳に移した臼杵神社(臼杵大明神ともいう)にも石上が2基あり、これが臼杵のいわれではないかといわれています。  

 大分市視聴覚センター ・・・ 臼杵市および大分県・その他の様子を紹介するアルバム集  
 フンドーキン臼杵紹介  ・・・ フンドーキン鰍フ臼杵紹介

国東真崖仏群 紹介サイト  ・・・・・ここの石仏は臼杵ではありません、念のため。


熊野磨崖仏 
 鬼が一夜で築いたという石積みの石段を登ると日本最大の石仏が国東半島に
ある。

 このあたりに住む鬼が人間を食べたいというので霊験あらたかな権現様が「翌朝の鶏が鳴くまでに100段の石段を作ったら願いを叶えよう、そうでなければお前を食い殺すぞ」といったとか。
 そこで鬼は石段を作ったのだが権現様が鶏の鳴きまねをして鬼を追い払ったのだそうで、「鬼が積みし石段を登らば現れむ岩に刻まれし」と歌われている。

この石段を登ると見える左手の不動明王は8m、右の大日如来は6mなど壮大。Naoはここへ到るまでの石段に音をあげました。若さを試される階段だと思いました。でもそこで見る石仏と爽快な風には鬼も大好きな場所だったろうと思いを馳せ・・・・。しかし、岩手の達谷磐と同じ顔の不動明王で何だか遠く離れているのに同じ思いをこめた昔の人々を思う。

国東半島紹介サイトはこちらへGO

臼杵石仏 紹介サイト 紹介サイト

臼杵石仏の顔ともいう石仏。平安時代から鎌倉時代にかけて 掘られた石仏。臼杵市内の深田地区というところにある。

仏像彫刻の中でもこれほど集中的に刻まれ価値の高い石仏群は他に例がないともいわれ、一体誰が何のために彫ったのか?古くからの伝説に登場する真名長者夫婦が作らせたのではないか?また、臼杵地方の有力者だった臼杵氏が作ったのではないかなど様々な説が考えられている。


堂ガ迫石仏群                                   山王山石仏群  

上の堂ガ迫石仏群は赤黄緑の色彩が残っています。山王山石仏は”かくれ地蔵”とも呼ばれる童顔の仏様。             
古園石仏群
Naoが臼杵にいた頃は下写真のように頭が落ちていたので台座に頭部を置いていたが、現在は左写真のように胴体の上に頭部をのせられている。

また風雨による劣化が激しいということで屋根もとりつけられて陽が直接あたらないようになっている。

しかし、Nao的には仕方はないと思えるものの、昔ながらのほうが素朴でい〜な。野に咲く花たちと一緒にっていうかんじで・・・・・

古園石仏群は”十三仏”ともいわれ有名な大日如来仏を中心に見事な石仏が並んでいて、当時も現在のように覆屋があったとみられ礎石が残っている。

マウスをあてると写真が変わるよ。


※こちらのホキ石仏は、石仏フォトギャラリー様 よりお借りしています。 

オーナー様の石の仏も素敵なもので溢れています。





満月寺や長者夫妻の墓は真名野長者伝説に語り継がれる石仏群の深田地区の奥に位置している。満月寺前にあるのは何故か土中に足を没している仁王像がこの2つ。



深田地区をずっと歩くとかなりの散歩距離になる。

奥のほうまでいくと炭焼小屋跡などもあったり長閑度は更に増して、普通に現在も営まれている田んぼの中に点在する石仏を見て歩くのは今でもその石仏を作った頃の面影を漂わせているような気がする。

夏には火祭があって道の両側に松明を立てて石仏を見るのは見事。




竜原寺 

聖徳太子を祀るお寺で珍しい三重塔です。太子塔とも言われていますがNaoの家では三重塔と読んでいた。このお寺の前には大友宗麟夫人の墓のある大橋寺があり、このお寺の裏側は西南戦争の銃撃戦跡などがある。

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